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romancista
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○インカ文明○

マヤアステカときて、次がインカですけど、これだけは南米大陸、しかも山岳地帯が舞台となっています。人種は、同じモンゴロイド系だからそんなにすごく違うわけではないし、類似点も見られます。例えば太陽信仰や天体に精通していること、生贄など。それからここもスペイン人にあっけなく滅ぼされたということです。

インカは大変有名ですが、このインカと名のつく文明=国家は、わずか50年ほどで築かれました。それは、もちろん、ゼロからできたのでなく、昔からあるほかのアンデスの文明圏をインカが吸収していったからです。その早業の理由を、この展覧会では、ミイラをキーワードとして提示してあります。

アンデスの乾燥地帯では、人を葬ると特別な処理をしなくてもミイラになりました。(家畜の世話をしてくれた犬も丁寧に葬っていたらミイラ化したという実物があります)。インカは、皇帝が死ぬと、その遺骸をミイラにして、そしてまだ生きているという扱いをしました。死んでいるはずのミイラ皇帝は、次の皇帝に所領を贈与することがありません。(そういうものは親族が相続)そのため、次の皇帝は、まるで裸一貫の若者のように領土を獲得し、自分の国にしていかねばなりませんでした。自然と、インカの領土は外へ外へと伸びていきます。そしてわずか50年の間に、アンデスのほぼ4万キロをインカの道が走り、第9代皇帝パチャクティがすべてを統一したため、一大帝国が築かれたのでした。

この9代目は本当にやり手でした。あのマチュピチュをつくったのもこの人で、昔はスペイン人に追われてここへ最後の抵抗拠点を作ったという説がありましたが、今ではパチャクティの乾季の別荘であろうと言われています。乾季、というのは雨季には雨が降りすぎてクスコから移動などしてこれないからでした。
インカの石組みは「かみそりの刃も入らない」といわれる隙間のない組み方をしてあります。それは、地震に強いのもあるだろうけれど、山岳地帯にギリギリの段々畑を作って生活しているので、水が石組を流してしまうようでは困るのだと思います。実際、マチュピチュには排水のための精巧な水路もちゃんとありました。
インカは帝国ですが、一千万の人口を抱えた完全な福祉国家でもあったと言われます。高低差と気候を利用して作物を栽培し、収穫したものはクスコに集約されるのでなく、地元の住民に配分されました。農民は、農作業のない時期には公共事業の手伝いをし、報酬も貰えました。インカでは黄金もよく手に入りました。黄金の色が太陽の輝きを連想させるのか、「太陽の汗」という言い方をしたようです。首都クスコはこの豊富な黄金ではりめぐらされ、情報はキープという(素材はラクダ科動物の毛らしい)紐で記し、国の隅々まで通じるインカ道をチャスキという飛脚が走って届けました。医療技術も高度で、頭蓋に穴をあける手術をやっていたことが明かです。

その一方で、アンデスにいるラクダ科のリャマは40キロくらいしか運べないため、乗用にはできません。それで皇帝が移動するにも人が、輿に乗せて運ぶというわけでした。青銅器はあっても鉄器がないので、戦争は棍棒で頭を殴りつける感じ。鉄器がなかったのは、中南米ではついにふいごの技術が発見されず、高温ではじめて加工できる鉄を使えなかったかららしいです。

それから、インカにもやはり生贄はありました。山の神に捧げる少年少女を着飾らせ、ごちそうを与え、おそらくは眠くなるお酒かなにかも飲ませ、山頂付近に置いてくるのです。子供はそこで凍死。生きていたときの姿のまま、眠ったような顔をしたミイラになるのです。インカの生贄は、アステカのように数を捧げるより、えりすぐりの美しい子供たちでした。乳幼児の頃から頭の形を変えて身分を示すというような乱暴なこともあっているので、あるいは、生贄になる子も生まれてすぐ、綺麗になりそうだったら生贄になるエリートとして育てられたのかも知れません。生贄は、男子は10歳くらい、女子は16歳以下というきまりがあったようです。

このインカ帝国は、黄金に目がくらんだスペイン人、フランシスコ・ピサロ一味に攻撃を受けます。スペイン人が乗っていた馬にインカの兵士でさえ驚きました。南米の馬は、氷河期に絶滅していて、誰も馬を見たことがなかったのです。スペイン軍は少数なのにインカを圧倒し、皇帝アタワルパは捕虜になりました。彼はピサロに、身代金を払うと言います。ピサロが話を聞くと、今自分のいる部屋一杯は持ってこれる、と皇帝は答えました。
スペイン軍は、ここで得た数トンもの黄金を、ぜんぶ潰して延べ棒にして本国に送りました。(中南米でつかんだスペインの黄金により、ヨーロッパで貨幣価値の混乱が起き、小麦の値段などが高騰していくのはまたのちの話です)
それほどの身代金にもかかわらず、皇帝アタワルパは処刑されました。
スペインが延べ棒にしてしまったので、インカやそれ以前のアンデス文明の金の工芸品の類は殆ど残っていません。また、生きているかのように手入れされ、輿で移動をしていた皇帝たちのミイラは、気味悪がったスペイン人にことごとく破壊されました。住民は銀山で強制的に使われ、悲惨な目にあわされました。

それから数百年。1911年にここを訪れたハイラム・ビンガムというアメリカ人が、マチュピチュを発見します。スペイン人も見つけきれなかったパチャクティの空中都市は手付かずのまま、標高2400メートルの峰に美しい姿で残っていました。
今現在調査でわかっていることは、16世紀当時にここにいたインカ人(パチャクテイの子孫ということになる)は、スペイン人がマチュピチュまで2,3日の距離まで迫ったという情報を得て、大切であった水路に割れた陶器のかけらなどをさんざん放りこんで、機能しないようにしてから、放棄したのだそうです。
マチュピチュとは「老いた峰」という意味があり、この向こうにワイナピチュ(=若い峰)という名前の地もあるそうです。マチュピチュを捨てた人々は、さらにスペイン人の手の届かない奥地へと去っていきました。

マチュピチュは相当な高山なので、見ているとロマンですが、最近は有名になりすぎて?観光客がインカの石段をすり減らし、バスが通り、携帯電話が感度良好なんだそうです。
世界遺産というのは残したいから遺産というのだろうに、TVで見るあの観光客の多さは、スペイン人のように強奪や破壊をするわけでなくても、別の形で文化を消耗させているように私には見えます。
そりゃたしかに、鉄器も作れない、馬くらいでびびる、自然に祈るのにいちいち命を捧げる。普通に今の目で見て野蛮でおバカみたいなところもあります。けれど、スペイン人がここ(マヤもアステカも含め)を破壊しつくした背景には、西側世界こそが人類の歩んできた世界と文化であるという自負なり当然の認識なりが、まさに新世界との遭遇により崩れたという、どうしようもない居心地の悪さもあったのではないかと思います。

そして今また「発見」し、「遺産」と呼び、嬉しそうに遺跡の間を歩き回る観光客も多くが西側の住人。この空中都市をみんなで愛でるのはいいとしても、ギリギリの努力と犠牲の上に成り立っていた固有の文明という面影がうすれて、俗っぽい、ねずみーランドリゾートのようになってしまったということがないようにはしてほしいです。


*シリーズはあと1回続きます。それは、マヤインカアステカを滅ぼして、黄金だの都市だのをそっくり頂戴してしまったスペインの、その後の話。


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”太陽の汗”と、いう表現がどこか可愛いような感じがしました^^

捕虜になった皇帝が差し出した身代金は自分の分だったのか
それとも国(国民)を含めた分だったのか・・・
ってか、スペイン!貰うだけ貰ってそうしたか!

それより
マチュピチュって、そんなに最近の発見物だったのですか(驚
TVで見ると随分廃れている様子なので、もっと前の発見物だと
思っていました。
2008.04.14 19:11 Posted by higuma
地元の農民が「遺跡みたいな水路があるよv」と案内したんだそうで…のんびりしている人たちです。
マチュピチュの建物は石でふさいだようなところにも実は部屋があったりして、黄金のブレスレットが出てきたのは90年代。貴族のお手入れ毛抜きが見付かったのは2002年だったかな?まだ調査途中なのです。

ちなみに、…
マチュピチュ村という温泉のあるような村から観光客を乗せていくバスの道はハイラム・ビンガムロードというのだって。その名前見たときにあの遊園地っぽいイメージがよぎりました。
2008.04.14 20:20 Posted by 狩
だんだん、頭が混乱してきました。

ここから学ぶ言葉の情報以外、私が基礎的な視覚情報を持っていないのが原因です…

連休は避けるとして、近々出かける予定です。
ここのところ、パソコン相手にパコパコやる仕事ばかりで運動不足だし、ちょうど良いかも。

しゅろさんの仕事、楽しそうで良いね(^.^)
2008.04.17 20:58 Posted by 芸術を愛するブタ
>仕事、楽しそうで良いね(^.^)
色々と大変なこともあるんですけれども、
ストレスになってなくって(爆)

でも正直いって、私は歴史趣味ではないみたいです。好き勝手に調べていたらナワトル語とかケチュア語とか、聞かれないようなことばかり覚えてしまった。
アステカの生活感のなさ、地に足のつかなさというのが文芸ものっぽいとひそかに思っている。
2008.04.23 20:14 Posted by 狩
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某勉強は続行中だが、忙しいので思うようにははかどらない。
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