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romancista
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おとといから疲労気味。今回はアステカですが、余裕ができたら加筆します。

○アステカ文明○

現在のメキシコに位置する湖に作られた都市とその文明がアステカです。北のアストランという小島のある湖から放浪してここへ都を造りました。その民の名前がメシーカ族。メキシコという国名のもとになっています。

繁栄したのは14から16世紀。湖を埋めたてし、農地を浮島に作る技術があり、陸地では人の足で移動するしかなかったのが、ここではカヌーで楽に移動できました。
さて、その都チノチティトランには双子の大神殿があるテンプロ・マジョール(スペイン語で文字通り「大神殿」)がありました。奉じられている太陽と戦の神ウィツロポチトリと雨と農耕の神トラロックは、相対する存在であり、結合させることで信仰の統一を可能にしました。その神のほかにもアステカではいろいろな神がいることになっていました。けれど、一番大事だったのはやはりその太陽・戦争・雨(水)・農耕、ということだったようです。
メキシコシティ北東50キロにあるテオティワカンの遺跡は、アステカの時代にもすでに遺跡でしたが、ここで太陽が生まれたという神話はアステカに受け継がれ、人々はテオティワカンへ巡礼し、発掘していたそうです。そして太陽をはじめとする自然の恵み(ニュアンスとしてもっと強烈なものを感じるので、恵みというより神格化して守護を願ったというべきか?)を願い、アステカでは生贄儀式が大規模に行われました。

1978年、メキシコシティから出土したテンプロ・マジョールは、ただの神殿ではありませんでした。先の二人の神をまつる祭壇が頂にあり、そのすぐ手前にチャックモールという、壷か何かを抱えた人の姿があります。厳密にはこのチャックモールは人間ではなく、神々へ人間のささげ物を渡す係。半分寝たような姿で神殿の正面を向いています。よく見るとおどけたような顔にも見えるのですが、捧げ物が何であったかを知ってしまうと逆にナンセンスな恐ろしさを感じさせる顔だと思います。
神殿のすぐ下には月の女神を描いた円形のメダルのようなものがあります。これは、太陽の神が月の女神を倒し、山の上から放り投げたというアステカ神話の再現です。

アステカでは神話にたびたび、切り裂かれる・火に飛びこむ・血を流して捧げるという文句が出てきますが、これも実際に再現されていたみたいです。戦争をするとき、捕虜は生贄にされました。戦場は花畑であり、人は花に喩えられました。戦士が死ぬと蝶になるというイメージもあったようです。アステカでは太陽神と同一視されたエリート軍団「ワシの戦士」が生贄となる者たちを捕らえる役目を与えられていました。
そして生贄は祭壇で心臓を抉り取られるか、首を切られるか、縛り首になりました。飢饉・旱魃・その他何事かあるたびに儀式は行われ、その数は多いときには数千人となり、テンプロ・マジョールは血に染まったといいます。
斬った首を陳列するのがツォンパントリ。スペイン軍と戦ったときの捕虜と馬は、首級がここへ飾られていました。また、雨の神に捧げられるのは子供たちでした。儀式のときに子供が泣けば泣くほど、よく雨が降ると言い伝えられていたらしいです。

前に書きました「アポカリプト」はマヤの終わり頃という設定の映画でしたが、生贄の儀式はアステカのそれの再現フィルムに限りなく近いかも知れません。生きている人間を押さえつけてナイフ(切れ味の良い黒曜石製)で胸を切り裂くという様子は、これも歴史の一面とはいえR12PGくらいじゃないかと思います。

アステカの生贄を見たスペイン人たちは、これを「悪魔の仕業」と呼んで、徹底的に破壊したそうです。ただしいきなり武装してアステカに入りこみ、差し出された黄金に目がくらんで欲を出し、内部崩壊に乗じて文明を破壊したスペインのやりかたは悪魔の仕業ではなかったのかどうか、という点も同時に議論されていいと思います。スペインはここにも疫病をまきちらし、先住民は激減してゆきました。

終わり頃のアステカの生贄は軍事的な威嚇と紙一重であり、周辺部族に力による従属を強要しているだけではその権力はいずれぐらついてくるものです。しかもそのくせ神話はただの言い伝えではなく、リアルで再現されるべきものとなっていました。
1519年、たまたまその年にひとめぐりしたアステカの暦と重なって出現しただけのスペイン人を「戻ってきた権力者ケッツアルコアトル」と神話を見る目で見てしまい、侵略者と見なして撃退するチャンスを逃してしまったことは、(生贄の風習がなくなって助かった人もいたでしょうが)文明としてのアステカにとっては、やはり不幸でありましょう。

アステカでは独自の終末思想を暦に組みこんであり、やがて太陽の時代(世界)は滅ぶという前提のもとに、世界を維持すべく必死で生贄を捧げていたようにも思われます。かれらはそれほど自然のありように敏感であり、神経質でもあり、生き延びるために知恵を振り絞り、もっとも大切なものをすすんで犠牲にしました。生贄の場面が余りにも凄惨なので血生臭いばかりの印象を与えがちですが、アステカにはある意味ストイックなエコロジストの一面も見えるのです。

都があった湖もスペインによって埋められてしまったので、アステカの遺跡は今も発掘中です。



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